【天気の子でも話題】人柱とは?その意味を日本の歴史・伝説から考察

新海誠監督の映画「天気の子」が大ヒットしたね!

累計では動員が1,000万人、興行収入が140億円を突破し、2019年邦画興行収入ランキング堂々の1位を記録した!

あのシーン、あのシンボル、あのキャラが!と様々な話題を提供した「天気の子」。

その中でも、いまいち誰も読み解けないテーマがある。

それが、「人柱」だ。

今回はその「人柱」をひも解いていこう。

人柱とは?その意味は・・・

人柱(ひとばしら)とは、

大規模建造物(橋、堤防、城、港湾施設、などなど)が災害(自然災害や人災)や敵襲によって破壊されないことを神に祈願する目的で、建造物やその近傍にこれと定めた人間を生かしたままで土中に埋めたり水中に沈めたりする風習を言い、狭義では古来日本で行われてきたものを指すが、広義では日本古来のそれと類似点の多い世界各地の風習をも同様にいう。

出典元:wikipedia

わかりやすく言えばいわゆる「生贄(いけにえ)」だね。

ムズカシイ言葉で人身御供(ひとみごくう)とも言われる。

現代人の僕らには理解しがたい風習だけど、それは古から様々な形で行われてきたんだ。

 

日本各地に人柱伝説が・・・

もちろん、それは日本各地でも行われてきた。

日本書紀「巻第十一の十 仁徳天皇」茨田堤と強頸・衫子

松江城の石垣(盆踊りの美少女)と天守(虚無僧)

舌食い池伝説(塩田平の民話)

猿供養寺村の人柱伝説(遊行僧)

現代の人柱伝説、常紋トンネル

伝説的なものから物証のあるものまで、キリがないほどいろいろな物語が残っているよ。

ちなみに「白羽の矢が立つ」って言葉があるけど、これも人身御供を求める神が、その望む少女の家の屋根に人知れずしるしの白羽の矢を立てるという俗説からきているとか。

言葉の語源になってしまうくらい、意外なほど日本人の生活に深くかかわる風習だったんだ。

ちなみにアニメでも、人柱がモチーフとなる作品は多い。

人柱アニメ

天気の子

NARUTO

BLUE SEED

などなど、大ヒット作から隠れた名作まで。

犠牲」「献身」的なあり方は、多くの感動を呼んできた。

 

「柱」と日本人

ちなみに日本人は「」をとても大切にしている。

それは日本文化に色濃くにじみ出る。

大黒柱(だいこくばしら)

三本柱(さんぼんばしら)

日本において「柱」の入った言葉は非常に重要な役割を意味する。

御柱(みはしら、おんばしら)と「柱」そのものに「御」をつけ、崇め、祭るほどだ。

旧出雲大社なんかはもう柱の数がえげつない。

そして、なんと神様を数える単位も「柱」である。

 

神を数える単位としての「柱」

【神を数える】なんて、少し罰当たりな気もしないでもない。

三十三間堂の仏像とか、仏がいっぱいだ!

キリスト教やイスラム教といった一神教なら、「唯一絶対な神」を数えようとも思わないはず。

Oh! My God!

この【神を数える】という行為は、やはり諸外国と比べると特筆すべき違いだ。

 

日本人はなぜ柱を数えるのか?

これは八百万の神々というほど、あらゆるものに神性をみるアニミズム的な世界感が、この習わしを生んだといえる。

それは遥か昔、縄文時代から脈々と受け継がれる。

石でも、動物でも、道具でも、万物あらゆるものに神が宿る。

それがまた別々の源泉でなく、本質的にこの世界は一つの源泉から生じた複数の世界だと捉える世界観。

その中で、古来から神様が依りつくもの=依り代(よりしろ)として最も尊い象徴が柱であると考えられていたようだ。

それが神の単位「柱」となっていった。

そういえば、今でも、お墓には柱をたてるし、お線香も柱状。(地域によっては三本柱)

子供のころ飼っていた動物が死んで埋葬するときも、何かしら棒=柱をさして供養しなかったかな?

そんな習わしは今でも生活のあちこちで見られる。

こんな感じで柱、神、魂はとても近しいものとして認知されているんだ。

 

人柱の歴史。そもそも何でやり始めたの?

「人柱」この悲しくも不思議な風習。

実は日本はもちろんのこと、似たような風習が世界で数多に存在するんだ。

とても非合理に感じるが、大切だと思うからこそ風習となって定着する。

なぜこんなことが始まったのか?

神話学者の高木敏雄によれば、

建築物の壁などに人を生き埋めにし人柱をたてるのは、人柱となった人間の魂の作用で建物が崩れにくくなる迷信があったから。

だという。

うん。迷信です。以上。

 

で終わるとつまらないから、もうちょっとがんばるね。

迷信の始まりは、神話のような言い伝えを「言葉通り」に捉え、生まれるのがパターンだ。

なので、次は神話を見ていこう!

 

ハイヌウェレ型神話

「ハイヌウェレ型神話」というものがある。

これは食物の起源を言い伝える神話の型式なんだけど、

作物が殺された神の死体から生まれたとする神話だ。

東南アジア、オセアニア、南北アメリカ大陸に世界各地で広く伝承されている。

この型式のもととなった、インドネシアのハイヌウェレ神話はこうだ。

ココヤシの花から生まれたハイヌウェレという少女は、様々な宝物を大便として排出することができた。あるとき、踊りを舞いながらその宝物を村人に配ったところ、村人たちは気味悪がって彼女を生き埋めにして殺してしまった。ハイヌウェレの父親は、掘り出した死体を切り刻んであちこちに埋めた。すると、彼女の死体からは様々な種類の芋が発生し、人々の主食となった。

ん~。悲劇!

ちなみに日本でも、同様に「古事記」に大気都比売神(おおげつひめ)という話がある。

高天原を追放された須佐之男命(スサノオノミコト)は、空腹を覚えて大気都比売神(オオゲツヒメノカミ)に食物を求め、大気都比売神はおもむろに様々な食物を須佐之男命に与えた。

それを不審に思った須佐之男命が食事の用意をする大気都比売神の様子を覗いてみると、大気都比売神は鼻や口、尻から食材を取り出し、それを調理していた。須佐之男命は、そんな汚い物を食べさせていたのかと怒り、大気都比売神を斬り殺してしまった。

すると、大気都比売神の頭から蚕が生まれ、目から稲が生まれ、耳から粟が生まれ、鼻から小豆が生まれ、陰部から麦が生まれ、尻から大豆が生まれた。

ん~。これも悲劇だね。

「手をさしのべる者⇒疑心暗鬼の者(または大衆)による裏切り」

という構図はもはや鉄板みたいだ。

 

助けてくれたのに・・・かわいそうだわ!

 

という感想は多いと思うが、ちょっとちょっと待ってくれぃ!

そこで止どまらないで欲しい。

悲劇の裏の教訓を考えてみたい。それは、

 

「疑い、不安、恐怖により、受け取れるものを受け取れなくなってしまうこと。そしてその疑い、不安、恐怖が時には与える者を殺してしまう教訓」だ。

 

奴庶民な僕らは無知で、そういうことをみようとしない。

例に漏れず「やっちまってる」のだ。

 

だからこそ、こういった神話が、

「悲劇さえも引き受けた特別な存在の犠牲による救済」

という意味の方に、ある種すり替えられ、人々の中に浸透していったことも事実。

いや、浸透させられたといってもいいかもしれない。

それを軸に世界宗教までつくられたわけだから・・・

 

人柱の効果

人柱の効果を端的に言うなら、「魂の作用」「霊的な加護」。

死者の霊魂を「人でありながら神に近しい存在」と考え、霊的な装置に仕立て上げる「人柱=生贄=人身御供」だ。

「人の死」という耐え難い苦痛を受け入れる人間の存在。

その献身が神々しい何かへと昇華するという多大なる妄想に集団で陥る。

多くの人が「安心」という、ありもしない妄想に憑りつかれる。

それはもはや呪術だ。

その呪術的意図は脈々と受け継がれる・・・

 

「魂」とやらを込められた建造物は、そうでない建造物に比べより強固に、例えるなら自然の地形のように長くその機能を果たすはずであると考えられていったんだ。

 

かの有名な博物学者、南方熊楠は『南方閑話』で人柱の意図が変化したことをも語っている。

「晝間仕上げた工事を毎夜土地の神が壊すを防ぐとて弟子一人(オラン尊者)を生埋した。さらば欧州がキリスト教と化した後も人柱は依然行なわれたので、此教は一神を奉ずるから地神抔は薩張り(さっぱり)もてなくなり、人を牲に供えて地神を慰めるという考えは追々人柱で土地の占領を確定し建築を堅固にして崩れ動かざらしむるという信念に変わった」

こうして時代の変遷とともに、人柱の意味合いも変化していく。

人体と魂を分割する霊肉二元論と集団的無意識(=亜空間知能)の利用価値に気づいてしまったものが、これを利用し始めたんだ。

 

犠牲は美徳の同調圧力。

多くの大衆が、己の身は守りたい、だけど利益は享受したい。

そんな中つくられた「犠牲は美徳の同調圧力」

浅はかな生き様からくる不安は、類似の不安と同調し、膨張し、犠牲を厭わない美しい死にざまを体現する人体をみつけては利用し、それを人柱にしたてあげる。

日本に最初に渡来したフランス人といわれるフランソワ・カロンは、こう言っている。

日本の諸侯が城壁を築くとき、多少の臣民が礎として
壁下に敷かれんと願い出ることがある。
自ら志願して敷き殺された人の上に建てた壁は
壊れないと信じられているからである。

そうして尊く賛美されるべき人体は大規模建造物や莫大な数字へとすり替えられ、虚無の世界へ吸い込まれる。

その身体で体現し 「示」すべきものを、肉感のない言語概念「口」だけのものとなるなら、「祝い」もいつか「呪い」へと変わる。

人柱が生みつづけた悲しみはその最たるものなのだ。

 

まとめ

ここまでをまとめると、

  • 人柱とは「生贄」のこと。
  • 人柱は日本だけでなく世界各地にみられる風習であった。
  • 人柱をはじめ、【迷信】は言い伝えを「言葉通り」にとらえることから始まる。
  • 神話は教訓である。
  • 「犠牲は美徳の同調圧力」が人柱をつくる。
  • その同調圧力は伝播し、大きな数字を生むからこそ利用される。

という感じ。

僕らは、人柱のような迷信が生まれる世界、つまり、「人体より言葉が先行した世界」で育ってきたんだ。

言葉、概念、知識、宗教、数字、情報。

それは目の前にいない離れた人間とも共有できるものであるからこそ、人類を反映させた。

名著「サピエンス全史」では、それを虚構と呼んだ。

虚構は大きな経済をつくった。

だが、だからこそ暴走しやすい。

それは不安、恐怖となって伝播し、嫌な空気感=同調圧力を生み出してきた。

ありもしない安心。

ありもしない保証。

ありもしない絶対。

そんなことに囚われることで、いつの間にか僕らは大事なことを忘れてしまった。

 

それは、『ぬくもり』だ。

 

一番体現すべきことはこの『ぬくもり』だったのだ。

最近忘れてないかい?人の温かさを。

どうでもいいニュースや噂に踊らされて怖くなっていないかい?

どうでもいい数字や情報に頭の中が支配されていないかい?

コロナから身を守ることに必死で大事なことを忘れてないかい?

考えることに必死でカラダが冷たくなっていないかい?

 

そのほとんどが頭がつくる「まやかし」だ。

ぼくらはその足を固め、カラダを忘れ、カラダを固め、頭ばかりを使うようになった。

頭偏重型の生き方=頭重心

それが故に作られたのがこの違和感丸出しの冷たい世界だ。

たくさんの犠牲がなくては成り立たない、

人柱の経済だ。

ぼくらは想い出さなくてはならない。

人のぬくもりを。人がそばにいることを。その体感を。

だからこそ、まずキミのそのカラダに目を向ける必要がある。

そのカラダを感じる必要がある。

嫌な冷たい空気感に負けないコツはそこだ。

 

あなたのカラダが、肚が、暖かくなる方へ。

ぬくもりへ向かって欲しい。

 

それこそ臍科学下腹重心

 

冷たい経済から暖かい経済へ。

新しい世界線への旅路はもう始まっている。

人柱経済の違和感を振り切り、本当に立てるべき柱を想い出したければこの先に進め!

人のぬくもりに目覚めた連中がこの先で待っている。

仲間を待っている。

共に時代を切り拓こう!

未来は自分たちの手でつくれるのだから。

時代を切り拓くその一人にキミもきっとなれるはずだから・・・

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