今の時代だから見なおしたい!ドラマ「女王の教室」 ネタバレ解説

 

2005年に放送された学園ドラマ『女王の教室』。

舞台は小学6年生の一年間、担任の鬼教師と生徒たちとの戦いと成長を描いた物語だ。

ドラマ内容に過激な描写が多く、放送当時は視聴者からのクレームも頻発!

それを受けて番組のスポンサー各社は提供クレジット表示を自粛する事態にも陥る!

しかし、視聴率25パーセントを超える大ヒットを記録してしまう!など、

当時、社会に衝撃を与えた大ヒットドラマだ!

そんな「女王の教室」を、今回はネタバレ解説いたします。

そこには、日本人の潜在的欲求が隠されていた・・・

 

ストーリーあらすじ

この物語は悪魔のような鬼教師と小学6年の子供たちの戦いを描いた一年間の記録である。
小学6年生になった神田和美は小学生最後の一年を楽しもうと張り切っていた。しかし、始業式当日和美の担任は「時間が無駄になる」という理由で出てこなかった。噂ではその担任は有名な「鬼教師」で、彼女が担任になってしまうと地獄のような一年間を過ごすことになるという。そして教室にその鬼教師・阿久津真矢が入ってきた。
テストの成績が悪い児童や真矢に楯突いた児童に「代表委員」と称して雑用係を務めさせるなど、冷酷に見えた真矢の真の狙いは教師が「壁」となり立ちはだかること。それを乗り越える努力をさせない限り子供達は真の「壁」を乗り越えることが出来ない。これに最初に気付いたのが和美であった。

出典元:wikipediaより

という感じ。

一見するとただの問題作。しかし、じっくりみることで、

「フムフム、あれ?結構大事なこと言ってない?」

と、時差で気づかされちゃうドラマだったのだ。

賛否両論になっちゃうのがよくわかる。

表面だけなぞるようなタイプの人はクレーマーになっちゃったかもしれないね。

ではでは、次は物語を彩った「名言」たちをご紹介していくよ。

 

名言から学ぶ「いい加減目覚めなさい・・・」

阿久津先生は言った。

「愚か者や怠け者は、差別と不公平に苦しむ。賢いものや努力をしたものは、色々な特権を得て、豊かな人生を送ることが出来る。それが、社会というものです。

あなたたちは、この世で人も羨むような幸せな暮らしをできる人が、何%いるか知ってる?たったの6%よ。この国では100人のうち6人しか幸せになれないの。

このクラスには24人の児童がいます。ということは、この中で将来幸せになれるのは、一人か二人だけなんです。残りの94%は毎日毎日不満を言いながら暮らしていくしかないんです。

 

『いい加減、目覚めなさい。』

 

日本という国は、そういう特権階級の人たちが楽しく幸せに暮らせるように、あなたたち凡人が安い給料で働き、高い税金を払うことで成り立っているんです。

そういう特権階級の人たちが、あなたたちに何を望んでるか知ってる?

今のままずーっと愚かでいてくれればいいの。

世の中の仕組みや不公平なんかに気づかず、テレビや漫画でもぼーっと見て何も考えず、会社に入ったら上司の言うことをおとなしく聞いて、戦争が始まったら、真っ先に危険なところへ行って戦ってくればいいの。」

なんと、これが第一話で出てきた名言。

一話目からグサッと刺ささるね!

 

しかも今や現実に、テレビや漫画どころじゃなく、

動画配信サイトのYoutubeにNetflixやHulu、

SNSのTwitter、InstagramにFacebookと、

「目覚めなくてすむ」コンテンツもどんどん増えてきているよね。

まるでそれを予見していたかのような、このセリフ。

阿久津先生は本当の愚かさ=学ばなくなることだと教えてくれているんだ。

そして、学ばなくなった人がどういう末路をたどるのかを見抜いていたのだった。

 

愛することと甘やかすことは違います

これは鬼教師・阿久津先生と同じ6年の他クラスの担任、天童しおり先生という新米教師とのやり取りで生まれた名言だ!

「罰を与えるのは間違っていると思います。子供達が萎縮するだけだし」

「あなたのクラスは不真面目でやる気のない子が沢山いるのに叱りもせずに、逆にご機嫌をとるような真似ばっかりして、教師をサービス業か何かと勘違いしているんじゃないですか?」

「私は先生のように自分の考えを押し付けるようなことはしたくない。生徒たちを愛してるだけです。」

それに対して阿久津先生は叱咤するように言い放った!

「愛することと甘やかすことは違います。

12歳の子供なんてまだ未完成な人間なのよ。

その未完成な人間に、媚を売ったり彼らを甘やかしたりしてどうするんですか。

罰を知らないで育った子供は、社会に出ても問題や事件を起こす大人になるだけです。

そういう人間を作らないために、学校はあるんじゃないですか?

だから私はルールを乱したり反省をしなかったりする児童には、罰を与えます。

学校をやめる子が出てきても構いません。

他の児童に悪影響を及ぼすような子ならいない方がましです。」

天童先生は所謂『友達先生』。

子供とは「同じ目線で仲良く楽しく一緒に思い出を」と言ったような・・・

こんな先生いたよね。

 

確かに一理あるわけだけど、果たして子供は『友達先生』を尊敬できるのだろうか?

 

子供にしたら、親族の次に長く関わるであろう大人が「先生」だ。

そんな先生が、媚を売ったり甘やかしたりしたのなら、

その先生はおろか、「大人」、「社会」を舐めてしまうように育ってしまうのではないかな?

 

でも、そもそも天童先生の問題点ってなんだったのか?

それは先生(教える者)と生徒(教わる者)という関係性の大切さをよく理解できていなかったというところにある。

例えば、大人が何かを教わるという場面を考えてみよう。

大人になると教わる事が減りますが、もし教わりたいなと感じる事があるとすれば、

自分よりすごい!と一目置ける、尊敬できる人ではないだろうか。

 

ここで「愛することと甘やかすことの違い」の話となる訳だ。

阿久津先生の教育法は「獅子の子落とし」に例えられる。

「獅子の子落とし」とは、獅子は自らの子を深い谷に落とし、這い上がってきた者のみを育てるという言い伝え(=故事)だ!

つまり、本当に深い愛情をもつ相手には、わざと試練を与えて、成長させるべきであるという考えを意味する。

聞いたことのある人も多いんじゃないかな。

 

決してやたらめったら谷に突き落とす事が正しいとは限らないけれど、

成長に障害は必要だし、そして人生は間違いなく障害だらけだ。

 

それなのに障害など存在しないかのように甘やかされ育った子供が、社会に出て苦労するのは目に見えている!

だからこそ阿久津先生は、自らが罰やルールで縛る事で障害となり、子供達に『障害を乗り越える経験』を与えていたんだよね。

 

どうして勉強しなきゃいけないんですか?

 

「なぜ人は勉強しなければならないのか?」

 

これは大人になってもなかなか答えにくい質問だよね。

 

頭脳明晰な女子生徒・進藤ひかるさんが、

阿久津先生に対してこんな質問を投げかることから始まる。

「どうして勉強するんですか、私達。この前先生は言いましたよね。

いくら勉強して、いい大学やいい会社に入ったって、

そんなの何の意味もないって。じゃあどうして勉強しなきゃいけないんですか?」

「いいかげん目覚めなさい。

まだ、そんなこともわからないの?

勉強は、しなきゃいけないものじゃありません。したいと思うものです。

これからあなたたちは、知らないものや理解できないものにたくさん出会います。

美しいなとか、楽しいなとか、不思議だなと思うものにもたくさん出会います。

そのとき、もっともっと、そのことを知りたい、勉強したいと自然に思うから人間なんです。

好奇心や探求心のない人間は人間じゃありません。サル以下です。

自分たちの生きてるこの世界のことを知ろうとしなくて、

何ができるというんですか。

いくら勉強したって、生きている限り、わからないことはいっぱいあります。

世の中には、何でも知ったような顔をした大人がいっぱいいますが、

あんなもの嘘っぱちです。

いい大学に入ろうが、いい会社に入ろうが、

いくつになっても勉強しようと思えばいくらでもできるんです。

好奇心を失った瞬間、人間は死んだも同然です。

勉強は、受験のためにするのではありません。

立派な大人になるためにするんです。」

 

この名言はグサッとくるね。

なぜ勉強をしないといけないのか?

阿久津先生の答えは「しなきゃいけないもの」ではなく、

「したい」と思うものだということだった。

 

くぅぅう~!

最近、何かを無性に勉強したいと思ったことはあったかな?

ついつい勉強と聞くと

「しなきゃ」とか、

「したほうがいい」とか、

「しなきゃダメ」とか、

なかなか「したい」とは思えなくないかな?

そうだとしたら・・・

 

阿久津先生の言葉を借りれば、

「したい」という好奇心がない時点で、

 

「死んだも同然」

 

そして、何よりもったいないのだ!

「これからあなたたちは、知らないものや理解できないものにたくさん出会います。美しいなとか、楽しいなとか、不思議だなと思うものにもたくさん出会います。」

ということ。

大人になると行動範囲も増えるし、知らないものや理解できないものに触れる機会が増えるからね。

でも実際は「どうでもいい事」にも沢山出会ってしまうよね(笑)

だからこそ、人生に不安になってしまう。

けれど阿久津先生は、そこにも金言をくれるのだ!

 

「いい加減目覚めなさい。

人生に不安があるのは 当たり前です。

大事なのは、そのせいで自信を失ったり、根も葉もない噂に乗ったり、人を傷つけたりしないことです。

たとえば、人間は死んだらどうなるかなんて誰にもわからない。

言うとおりにすれば天国に行けるとか、逆らえば地獄に落ちるとか言う人がいますが、

あんなものはでたらめです。

誰も行ったことがないのにどうしてわかるんですか?

わからない物を、わかったような顔をして、無理に納得する必要なんかないんです。

それよりも、今をもっと見つめなさい。

イメージ出来る?

私達の周りには、美しいものがいっぱいあふれているの。

夜空には無数の星が輝いているし、すぐ側には、小さなチョウが、懸命に飛んでいるかもしれない。

街に出れば、初めて耳にするような音楽が流れていたり、素敵な人に出会えるかもしれない。

普段何気なく見ている景色の中にも、時の移り変わりで、ハッと驚くようなことがいっぱいあるんです。

そういう大切なものを、しっかり目を開いて見なさい。

耳を澄まして聞きなさい。全身で、感じなさい。

それが生きているということです。」

「今はまだ、具体的な目標がないのなら、とにかく勉強しなさい。

12歳の今しか出来ないことを一生懸命やりなさい。

そして、中学へ行きなさい。」

「中学に行っても、高校に行っても、今しか出来ないことはいっぱいあるんです。

それをちゃんとやらずに、将来のことばかり気にするのはやめなさい。

そんなことばかりしていると、いつまでたっても、何にも、気づいたりしません。」

 

これもまたグサッとくるよね~

「不安をなくす方法」なんて書籍も多い昨今、

 

不安があるのは当たり前!!

 

と言い切ってもらえると妙な安心感がある!

 

そのあとに続く言葉も「確かに!」と思えることばかりだ。

 

「今しか出来ないことを一生懸命やりなさい」

 

逆にこの「今しかできないこと」をごまかして、

一生懸命取り組まないで過ごしていると・・・

後からもの凄い後悔が押し寄せてくるよ。

 

師弟関係の美しさ

以上、3つの名言を見てたんだけど、

どれも素晴らしい名言だったね!

でも実は、このドラマの本当の見所は、

師弟関係の美しさなんだ。

師弟関係とは、師匠の経験によって培った知識や技能などを伝授することだ。

思えば、子供の頃に本当に勉強したかったのは、単なる教科書での数国理社だけでなく、

先生が人生経験によって培った、説得力のある知識だったなと。

 

言い方を変えると、

「自分より悩んできた人の経験や知識を知りたかった」のだと思い出す。

この作品でも、阿久津先生が生徒一人一人に対し、

真剣に向き合い、怒り、

そして先生自身が常に一生懸命である姿に、

生徒たちは魅了され、

次第に尊敬し、

この人に教えて欲しい、

この人からもっと習いたいと思えた。

まさしく【師弟の物語】なわけなんだ。

 

生徒達のセリフで印象的な言葉がある。

 

「先生にもっと教えて欲しかった。」

 

ドラマの最後、阿久津先生は教育委員会によって学校を辞めさせられてしまうんだけど、

そこで子供達が先生がいなくなってしまうことに対して、どうにかしようと思い立つシーン。

 

しかしすぐに、大事なことはそんなことではない事に気づく。

 

「12歳の今しか出来ないことを一緒懸命やりなさい。」

 

そう、阿久津先生の言葉を胸に、

先生のいなくなった後の勉学や各々の「今しかできない事」に励む決意をする。

 

先生ならどうするか?

 

という視点で生徒たちは動き出したんだ!

このシーンはすごく印象的で、

不気味なくらいにやる気のある生徒たちの姿に、他の先生たちは驚いた。

 

でも、そういうことなんだ。

大したことない弟子が、尊敬する師に出会い次第に強くなっていく。

そして一番強くなるときは、だいたいが師匠を技で超えた時ではなく、

師匠の今までの行動の意図を知り理解し、その思いを受け継ぐ時なんだ。

そうして人は強くなる。

 

女王の教室には超人的なパワーを持った人はでてきませんが、

この思いを受け継ぐスタートラインに立ったところで物語は終わる。

それにしても、日本人って実はものすごく師弟の物語が好きだよね。

 

人気漫画でも映画でも、強い主人公にはだいたい師匠がいます。

弱い自分を師匠にかばってもらい、守られ、

次第に強くなっていく。

最初から強い人なんて、ほとんどいないんだから。

 

そんな関係性に憧れてはいるけれど、実際に周りに師匠のいる人は少ない。

「私、最近師匠できたんだよ」

なんて会話、聞いたことないですよね。

でも実際、「師弟」という言葉が身近なものでなくなったのは最近の話だったりします。

少し前の日本では、「誰から教わるかが重要」という文化がありました。

うちの子はどのお師匠さんのところに頼もうか?

「あのお師匠さんはいいよ」なんて話がされて、

噂が噂を呼び、今でも名を残すような名師匠がたくさんいますよね!

さらにこれは子供に限ったことではありませんでした。

大人になってからもお師匠さんを探している人はたくさんいましたし、

役職もあり世間的にはお偉いという方でも、このひとに教わりたいと思うひとに出会えたら、素直に弟子入りを懇願していました。

そうです、師弟関係が当たり前だったころ、先生という存在は尊敬の対象で、

かっこよかったのです。

現代の私たちが「かっこいいなー」と感じる武人達も、ただ刀を振っていたわけではありません。

もちろんそんな彼らにもお師匠さんがいました。

それにいくつになっても勉学をしていました

お師匠さんは単に勉強ができるだけでなく、尊敬できる人であることが重要だったのです。

「看板を背負う」なんていう言葉がありますが、

まさに「自分の行動一つでお師匠さんの顔に泥を塗ってしまうかもしれない」という思いは、勉強を促進する力になっていたと思います。

「恥をかかせられない」というのは、重々しいようで憧れますよね。

きっとこの「女王の教室の生徒達」も、この先の人生で壁にぶつかった時、

この阿久津先生と過ごした一年間の経験を思い出し、

超えていこうという気概が生まれてくるのではないかと思うのです。

楽しかったことよりも辛かったことや悩んでいたことを覚えているのは、

またその壁が訪れた時に、

 

「きっと解決できるな」

 

という自信になるからではないでしょうか。

そしてその自信はどこから来るのか?

あなたの内側から?

いや、関係性の中から!

だからこそ大人の学び直しは、まず、

お師匠さん探しから。

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