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【落語】ここでしか学べない!世界を巻き込む落語の歴史行動学超多角的解説!

 
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謝花也(しゃかや)


RSEL叡智教員科に所属しながら、保育園でこどもたちを育てている。三度の飯より叡智がすき。得意科目は自因自果。五層対論。

◉ ボディフィギュアタイプ
「イカリ富士山」の隠れ「くりせん」型



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皆さんは今まで『落語』を聞いたことや寄席に行ったことはありますか?

『落語』を聞いたことがある人も、
『落語』を聞いたことがない人も、
興味を持ってこれから聞こうと思っている人も、
日本人の教養として、『落語』の背景をちょっとでも知ってるだけでとっても意味がありますよ。

この記事では、落語の歴史を見ていくだけでなく、
芸能文化が私たちの社会や生活にどのような影響をもたらしていたのか?
落語が果たしている知られざるハンパない魅力について紹介していきますね!!

落語がよりいっそうおもしろくなること間違いなしです。

そもそも落語とは?

そもそも落語とは、

噺(はなし)の最後に「オチ」がつくのが特徴。歌舞伎など、ほかの伝統芸能と違い、落語は身振りと手振りのみで噺を進め、一人何役をも演じます。衣装や舞台装置などを極力使わず、演者の技巧と聴き手の想像力で噺の世界が広がっていく、とてもシンプルで身近な芸能です。

(出典元:落語芸術協会)

ちなみに芸能とは、芸術のジャンルの中で「人間の身体をもって表現する技法」のことなんだそうです。
落語は衣装や舞台装置もあまり使わないので、特に「身体表現」が求められるってことですね!

落語といえば、
扇子を使うことで、本当に蕎麦をすすっているように見えることをイメージできますが、
まさに「身体表現」なわけですね。

落語の歴史

落語の始まりは、室町時代末期から安土桃山時代にかけて、戦国大名のそばに仕え、話の相手をしたり、世情を伝えたりする「御伽衆(おとぎしゅう)」と呼ばれる人たちでした。
その中の一人、安楽庵策伝(あんらくあんさくでん)という浄土宗の僧侶は、豊臣秀吉の前で滑稽なオチのつく「噺」を披露してたいへん喜ばれました。
江戸時代に入ると有料で噺を聞かせる人物が登場し、大阪では「米沢彦八」、京都では「露の五郎兵衛」、江戸では「鹿野武左衛門」などが活躍しました。
こうして、「寄席」が誕生したのです。

(出典元:落語芸術協会)

もともとは戦国大名というお殿様に仕えていたお坊さんが話の相手となり、世情を伝えていたのが「落語」の始まり。
現代では庶民が馴染みやすい親しまれる形になっていますが、はじめはお殿様、御上に仕えていたと思うとなんだか不思議ですね。

落語の師弟制度

落語家の特徴としては「階級」「師弟制度」があります。
普段僕たちには馴染みのない「師弟」の世界っていったいどんなものか?
気になりますよね。

それでは、落語の「階級」「師弟制度」について見てみましょう!

落語家の階級

落語家(東京)には、「真打ち」「二ツ目」「前座」「前座見習い」という階級があります。ここでは、「落語家になるまで」と「落語家になってから」の道のりをご紹介します。

落語家になるまで

どんな大真打ちや名人でも、生まれた時から落語家という人はいません。落語家になるには、まず第一に真打ちの弟子にならなくてはなりません。一つの方法として、寄席や落語会に足しげく通って、入門したい師匠をさがします。(なかには、知人などのツテで師匠を紹介してもらえる場合もあります。)弟子になったら、その師匠とは一生師弟関係になるのですから、慎重に決めましょう。よほどのことがない限り、師匠を替えることはできません。心に決めた師匠がいたならば、今度はなんとかしてコンタクトを取ることです。一番確率が高いのは、出演している寄席の楽屋口で待ち受けることでしょう。そして、落語への情熱や師匠に決めた動機など、自分の熱い思いを伝えます。たいがい断られますが、それでもめげずに何度もトライしましょう。その結果、弟子入りが叶う場合とそれでも断られる場合があります。弟子入りが叶うと、そこから前座見習いとなります。

前座見習い

師匠が入門を許可すると、前座見習いとなります。まだこの時点では、落語家になると所属する「協会」に登録されないので、楽屋には入りません。前座見習いの仕事は、師匠(あるいは兄弟子)に付いて仕事先へのかばん持ち、師匠の家の雑用、そして前座(楽屋入り)になるための修業(落語の稽古、着物の着方やたたみ方、鳴り物の稽古など)です。これらがある程度できるようになると、師匠から許可が出て晴れて楽屋入り、前座となります。この期間は師匠によってまちまちです。

前座

前座とは、寄席の番組(プログラム)で一番前に高座へ座るので『前座』といわれます。前座の仕事は、前座見習いの仕事のうえに、今度は楽屋での仕事があります。では、前座の一日を紹介しましょう。

師匠の家に行き雑用をします。食事をしてから寄席に行きます。

楽屋の準備をします。楽屋の掃除をして、お湯を沸かし、その日出演する芸人のメクリ(高座で名前が書いてあるもの)を揃え、着物に着替えます。開演の30分前までにその作業をすべて終わらせます。

いよいよ一番太鼓を打ちます。「ドンドンドンと来い」と聞こえるように、また、これにあわせてお客様が来場されます。できるだけ元気に叩きます。その後、先輩の芸人さんたちが楽屋入りしてくるので、お世話をします。

開演の5分前には二番太鼓を入れます。これは、「まもなく開演ですよ」という合図ですからしっかり叩きます。

開口一番が前座の出演する時間です。寄席によって違いますが、大体10分程度の時間、落語をします。

その後は、高座返しをしたり、鳴り物(出囃子や地囃子や踊りの時の太鼓)も前座の仕事です。楽屋の中では、先輩方にお茶を出したり、師匠方の着替えのお手伝い、ネタ帳をつけたり、とにかく失礼の無いように気を遣いながら働きます。

番組の最後の師匠(トリといいます)が高座へ上がると、楽屋の後片付けをして、落語が終わると追い出し太鼓を入れます。寄席での仕事はここまでです。

空いている時間に、師匠方に噺の稽古をつけてもらうこともあります。人によっては他のお稽古事、地域寄席等のお手伝いと、かなり忙しく過ごします。

前座は毎日寄席に通うので、お休みは余一(大の月の31日)のみです。毎日毎日この繰り返しをして、約4年で二ツ目になります。

二ツ目

二ツ目とは、寄席の番組(プログラム)で二番目に高座へ上がるので『二ツ目』と呼ばれます。二ツ目になると、師匠の家や楽屋での雑用がなくなります。着物も、今までは着流しだったのが紋付を着て、羽織も着られて、袴を着けることもできるようになります。見た目は一人前の落語家です。ただし、毎日楽屋へ来なくてもいいようになり、高座の数も減ります。そこで自分の責任で高座(仕事)を探さなくてはなりません。そのために、噺の稽古(噺の数や技術)にも気を入れないと、たちまちライバルとの差が開いてしまいます。時間が急にできるので、人によっては、だらけてしまうのもこの地位だと思われます。二ツ目を約10年勤めると、いよいよ真打ちになります。

真打ち

落語家になって目指すのは、やはり真打ちです。真打ちとは、寄席の番組(プログラム)で一番最後に出る資格をもつ落語家です。また、弟子を取ることもできます。真打ちの語源は諸説ありますが、昔の寄席の高座には、照明用に蝋燭が立っていて、寄席が終わると最後の出演者が蝋燭の芯を打つ(切って消すこと)ことをしたために「芯打ち」といわれ、縁起を担いで、字を「芯」から「真」に換え、「真打ち」となったといわれるのが一般的です。でも、真打ちになったからといってゴールしたわけではありません。人によってはここからがスタートだという人もいます。とにかく落語家は、一生が修業で勉強していかなければならないのです。

(出典元:落語芸術協会)

このように落語の世界を見ていくと、
「学びをずっと続けていく“道”」だということが理解できますね。
けっして楽な道ではないですが、生涯を通して学び続けている姿は魅力的ですよね。

ここまで「落語」について歴史から芸能や師弟制度について触れてみました。
これだけでも知らなかったこといっぱいあるなぁと感じますよね。

ここからは、
世界の歴史から多角的に「落語」をみてみるとどうなのか?
という本題に入っていきますよ!

芸能と歴史行動学(芸能の歴史)

SONKYO-ZINEでは人類の歴史は「人類の行動の歴史」であるという視点で、
歴史がただの情報ではなく、生々しくその時代を生きていた人たちによるバトンリレーであったことを踏まえて、
歴史を学ぶことを「歴史行動学」と言っています。

西洋芸能史「演劇」

(イタリア政府観光局(ENIT)公式サイト)

西洋における芸能の起源は、古代ギリシャの、物語を歌っていく「演劇」がはじまりです。

文化、政治、軍事の中心地である都市国家アテナイという場所で、神のお祭りの一部として上演されていました。

そこで生まれたのが「悲劇」「喜劇」「サキュロス劇」という戯曲の3つ。

落語では、喜び(笑い)と悲しみの両方を一つの噺の話の中で表現されますが、
演劇では、悲しみと喜びが一つの演目で行われることはなかったそうです。

ですが、都市に集まった人々が、喜びや悲しみを表現した芸能を求めていたことは共通していますね!

東洋芸能史「芸能」

「芸能」という言葉は元来は中国の言葉で、
「芸」と「能」の熟語。

才芸・伎芸・技能のことを、「六芸」と称して礼(礼儀作法)・楽(歌舞音楽)・射(弓術)・御(馬術)・書(学問)・数(算術)を芸能としていました。

中国で身分のある人が学んでいた6種類の基礎教養が「芸能」。

日本の「芸能」の語源も中国に由来していたんですね。

今ある日本の伝統芸能の多くも、中国から入ってきたものにかなり影響を受けています。

ここでも「芸能」が軍事と政治と文化の基本であったことが見えてきます。

日本の芸能史「伝統芸能」

(巫女舞(wikipediaより))

古代では日本の芸能は村々における神祭りを中心に行われていて、芸能のはじまりはシャーマニズム儀礼の形をとっていたそうです。

大和朝廷は祭りの場の歌舞(うたまい)をいち早く芸能化して、猿女氏(さるめのきみ)や物部氏(もののべうじ)がそれを行いました。

これが神楽のもととなったと考えられていて、平安時代にはいると猿楽・田楽の伝統芸能が生まれます。

中世では中国から伝わった文化は日本独自のものへと変化していき、

近世では芸能は歌舞音楽に関するものが中心となり、職業的芸能人も増えるようになります。

近現代では、明治維新後の明治政府は芸能教育に対して消極的となり、学校教育においても西洋の芸術音楽は採用されても日本の伝統芸能は殆ど採用されなくなります。

芸能がふたたびスポットライトを浴びるようになるのは、第二次世界大戦後で、ここからマスメディアにも注目されるようになり、現代の僕たちの知られる芸能へとなっていきます。

日本の芸能は、神祭りから始まり、東洋と西洋の様々な文化を受け入れながら独自に吸収し形成されていったといえますね。

こうして西洋、東洋、日本を見比べてみると、文化や政治、軍事が盛んな人口が集まる都市に「芸能」が生まれ、

そうした環境で、喜びや悲しみを表現した物語を、歌ったり、話し聞かせたり、舞ったりするという共通点が見えてきます。

「芸能」は単なるエンタメや娯楽、気晴らしではなく、政治や軍事にも結びついた、
人々が暮らしていくなかで明日を生きる活力となるものだったんですね。

落語家と道化師の意外な共通点!?

落語の歴史のところで、その始まりは、戦国大名のそばに仕え、話の相手をしたり、世情を伝えたりする「御伽衆(おとぎしゅう)」と呼ばれる人たちだった、という話がありましたが、

実は、この「御伽衆」と同じような役割を担う存在が、世界中の都市国家には存在していたらしいのです。

あまり聞きなれない「御伽衆」ですが、

知れば知るほどめちゃめちゃカッコいいんです!

それでは見ていきましょう!

謎の叡智集団「御伽衆(おとぎしゅう)」ってナニモノ?

(曽呂利新左衛門(wikipediaより))

「御伽衆(おとぎしゅう)」とは室町時代後期から江戸時代初期にかけて、将軍や大名の側近に侍(じ)して相手をする職名。

雑談に応じたり、自己の経験談、書物の講釈などをした人で、政治や軍事の相談役でもありました。
僧侶や豪商、武士などが多かったそうです。

この御伽衆は武田氏、毛利氏、後北条氏、織田氏、徳川氏など広く戦国大名間で流行しました。

御伽衆は、語って聞かせる特殊な技術のほか、武辺談や政談の必要から相応の豊富な体験や博学多識、話術の巧みさが要求され、

もっとも多くの御伽衆を抱えた豊臣秀吉の御伽衆であった呂利 新左衛門(そろり しんざえもん)は非常に機知に富んだ武士だったそうです。

落語の生みの親でもある安楽庵策伝(あんらくあんさくでん)のほかにも「御伽衆」はたくさんいたんですね!

御伽衆は、「幇間(ほうかん)」といういわゆる「太鼓持ち」とも言われ、

「幇(ほう)」は助けるという意味で、「間(かん)」は人と人の間、すなわち人間関係をあらわします。

この幇(ほう)と間(かん)の二つの言葉が合わさって、人間関係を助けるという意味だそうです。

つまり、

人間関係を好循環にしていく役割が「御伽衆(おとぎしゅう)」

 

 

時にはお殿様との間をとりもち、
時には庶民の間をとりもつ。

お殿様と民衆。
宴会の席で接待する側とされる側の間。
客同士や客と芸者の間。

間に入って雰囲気が途切れた時、
楽しく盛り上げるために繋いでいく
しかも頭も良い、遊びの助っ人役。

なんだかものすごくかっこいいですね!

宮廷道化師(きゅうていどうけし)

宮廷道化師(きゅうていどうけし)とは中世ヨーロッパもしくはチューダー時代に王族や貴族によって雇われたエンターテイナー。

色鮮やかなまだら模様の服装と風変わりな帽子を被って、
物語を語ったり、歌や音楽、アクロバットやジャグリング、奇術など様々な芸を披露して楽しませ、
また、おどけた調子で芸を披露し、当時の事柄や人物を笑いにした歌や話を創作しました。

トランプでは「ジョーカー」
タロットカードでは「愚者(死神)」「fool(フール)」
他にも「ピエロ」とも呼ばれるのがこの宮廷道化師です。

王族や貴族にも自由なふるまいや発言ができる数少ない立ち位置で、
芸人であることをはるかに超えて、知性や政治に精通した気の利いた冗談で、周囲の者に畏敬の念を起させる者もいたそうです。

トランプでは、どんな役にもなれて、キング(王)ですらひっくり返せてしまうカードですが、
その由来はこんなところからきているんですね!

道化師がどんな地位の人間でも楽しませるように、死は全ての人間に平等であることから愚者(フール)は死神でもあります。

御伽衆もそうでしたが、
おもしろくて、頭も良くて、場を盛り上げて、人間関係を良くしていく、
そんな魅力的な存在でもあったわけです。

映画では悪役として描かれることの多い「ジョーカー」ですが、
人が無視できない並々ならない魅力を放つ理由はここにあるのかもしれません!

世界を見てみても、

エジプトにはファラオを楽しませる道化師いて、14世紀から16世紀のアステカでは道化師は人気があり、
ポーランドの有名な宮廷道化師スタンチクは政治に関した冗談を話し、後にポーランド人の歴史的な人物になりました。

彼らは単に面白いだけでなく、その深い知性から機知に富み気の利いた冗談で助言を与えてくれる存在でもあったのです。

こんな風に見てみると、人口が多く集まる都市にはこのような、
人と人の間をうまく繋げてくれる役割が欠かせなかったんですね。

「御上(主人、王)」と「家臣(従者)」と「民」(上下の運動サイクル仮説)

ここまで紹介させていただいた話をまとめると、

まとめ

・戦国大名に仕えていた「御伽衆(おとぎしゅう)」から落語(噺)が始まる。

・師弟関係で一生を通じて学んでいる人たちが「落語家」

・喜びや悲しみを表現した物語を、歌ったり、話したり、舞ったりすることが「芸能」

・「芸能」は文化、政治、軍事と結びついた、祭り事であり政(まつりごと)だった。

・世界の文明で見られる御側付き(おそばつき)「御伽衆」、「宮廷道化師」の存在
→豊富な体験や博学多識で機知に富み、芸人であることをはるかに超えて、知性や政治に精通した気の利いた冗談で、畏敬の念すら抱かれることもあった。

・どんな人と人の間にもはいって楽しませ、その関係性をよくする存在「御伽衆(おとぎしゅう)」「宮廷道化師」

ということになります。

文明を維持するためには「御上(主人、王)」と「家臣(従者)」と「民」のチームワークが欠かせません。

チームワークを良くするために世界の各文明で様々な方法が模索されてきたんですね。

そのなかで生きる上で誰もが持つ、悲しみや喜びを表現した「芸能」というのは重要な役割だったのです。

新しい上下関係を生み出す舞台装置 『落語』

日本では江戸時代は270年ものあいだ、平和な状態が続きました。

最近では、近世史の研究が進むなかで、
江戸時代には「士農工商」という身分制度や上下関係は存在しないことがわかってきています。

渡辺京二さんの著書『逝きし世の面影』では、
江戸末期から明治初期の日本人の生き方が、当時、日本を訪れた外国人の視点をもとにまとめられているので、
いくつかご紹介させていただきます。

「この和の国においては、欧州のいかなる国よりも芸術の享受、趣味が下層階級にまで行き渡っているのだ。

どんなに慎ましい住居の下でも、そういう芸術文化の嗜みを示すものを見いだすことができる。

ヨーロッパ人にとっては、芸術は、 金に余裕のある裕福な人々の 特権にすぎない。   

ところが日本では芸術は万人の所有物なのだ」

(オーストリア外交官、アレクサンダーヒューブナー)

「金持ちは高ぶらず、貧乏人は卑屈でない。

ほんものの平等精神、 我々は結局はみな同じ人間だという自然な良心を信じる心が、この社会には隅々まで浸透している」 

(著述家、B-H·チェンバレン)

「主人(御上)と召使との間には通常、私達にはなじみのない友好的で信頼の強い親密な関係で成り立っており、

これは西洋列強諸国の主人や召使にあって、まったくもって未知の関係性といってよい」

(フランス海軍士官、 E.スエソン)

また、西洋人が日本に訪れた際に、お殿様の乗った駕籠(かご)が子供達を避けて通っていくことに驚いたという話もあります。

西洋人にしてみれば、子供は地位の低い存在であったため、子供の方が君主を避けなければならないという考え方が当たり前だったからです。

このように西洋にはない日本の上下関係の在り方に、西洋列強のエリートでさえもカルチャーショックを覚え驚いたのです。

 

この当時の最先端を行っていた西洋人でも驚いた

「社会の隅々まで行き届いた気持ちの良い上下関係」

の背景には、御上と民、人と人の間をつなぐ「御伽衆」のような存在がいたからなのではないでしょうか。

落語家で有名な立川談志さんは、

「落語とは、人間の業の肯定である」

という言葉を残していています。

業とは煩悩であり、人間の心身の悲しみや苦しみのことですが、
そういった人間のアンバランスな部分を認めた上で、バランスをとって人々の生きる活力、元気を与えていく、
そんな智(ち)を踏まえたものたちによる救いが「落語」なのです。

御上に仕え、智を踏まえた御伽衆が「落語」という芸能を通じて、江戸の空気清浄機として活躍し、世情を踏まえつつ人間の業を肯定する。

「落語」のような日本の芸能は、
上下関係を君主や奴隷のようなただの主従関係ではなく、
もっと球体的に流動させる役割を担った、
より良い文明創りのための舞台装置だったのかもしれません。

江戸に流れる“粋な空気”の背景には、学び続け、御上と民たちを「つなぐもの達」がいたのです。

彼らは人々が生きる生々しい世情を御上(おかみ)に伝え、生きる上での悲しみをふまえ笑いにしたお噺(はなし)は、
人々に生きる意味を再確認させ、気持ちのいい空気を生み出しました。

そうやって、「御上」と「家臣」と「民」との間には、“粋な空気”が気持ち良くグルグルと巡りながら、江戸・明治の文明は築かれていたのです。

こうした文化が土台にあったことで、
当時の日本の人々は上下関係や支配階級に関係になく、

「汚いもの、嫌なものもいっぱい持っているけれど、そういった【業】を溜めないで流していき、たとえ辛いこと、不都合なことが起きたとしても、笑って明るく逞しく乗り越える。」

そんな粋で闊達な「業の肯定」の共通リテラシーを持っていたのです。

世界に誇れる美しい文化が日本にはあったんですね。

普通に聞くだけで十分おもしろい落語ですが

「みんなも粋な空気を生み出している一員で、
文明を共に創ってる中の一人なんだ!」

と励まされているのだと思って聞いたらよりいっそう楽しむことができそうですね。

悲しいことも踏まえて、笑いにして明るく闊達に乗り越えていく、それこそ、

 

日本人らしさ

 

そんな日本人らしさを身につけて、前向きに生きていきたいですね!

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謝花也(しゃかや)


RSEL叡智教員科に所属しながら、保育園でこどもたちを育てている。三度の飯より叡智がすき。得意科目は自因自果。五層対論。

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