【超・進路相談】進路に悩むあなたへ・・・理系VS文系!?論争 究極解【啓蒙思想】

 

は~進路選択かー

理系?文系?どっちにしたらいいんだろ?

理系の方が、将来的に給料が高いっていうしな・・・

でも、近い将来AIに仕事取られるって言うし・・・

理系でやることって、たしかにAIっぽいよね。

 

―将来の夢?

 

そんなことより、先の見えない現実を、どう生活していくか、不安だらけだよ!

将来の生活のためには、理系?

でもでもAIが出てくるから、やっぱり文系?

結局、どっちに進むのが正解なのぉお?

 

理系と文系、どっちにするのがいいの!?

そんな君に、啓蒙思想!

啓蒙思想ていうのは、「蒙(くら)きを啓(ひら)く」=「暗いところに光を照らす」の意味で、広く言えば、理性や科学についての無知から解放することを指すんだ。

今、僕らが暮らす現代社会。

インターネット、車、飛行機・・・

今君が見ているこのスマホのスクリーンだって・・・

あらゆる便利な道具は、過去にどこかの誰かが、何も光(知識)がなかった暗いところから、手探りで「知識」という光を得ていったから。

・・・つまり、啓蒙していったから!できたものなんだ。

今の僕らの暮らしは江戸時代の殿様と同じくらい豊かだって言われるけど、そんな”一億総お殿様”の豊かな暮らしができるのも、啓蒙思想のおかげなんだね。

そして今、君が学校で学んでいること、国語、数学、歴史、生物、化学・・・

理系・文系の教科たち・・・

これらも、まさに啓蒙ってわけだ。

先人が積み重ねてきたこれらの基礎教養”知識”を学んで、自分の”現在地”を明るく照らし、さらに大学にいって、もっと専門的に深く学ぶことで、より社会を明るく照らせるような一人前の大人になる・・・

その仮説のもとで、今の学校制度があるはずだよね。

ん~そんなこと言われてもピンとこないよ!

とりあえず、理系と文系、どっちにしたらいいの?

啓蒙してよ!

おーけーおーけー焦るでない。

ひとまず現代社会を作った「啓蒙思想」の解説については置いておいて・・・

理系・文系の話だったな。

これは君の将来に関わる大事なことだから、一つ一つ光を照らしていこう。

まず、そもそもの話からだ。

 

そもそも理系と文系なんで区別するの?

そもそも文系と理系を分けているのは日本だけだってことを、君は知ってるかい?

海外の大学では「リベラルアーツ」といって、理系と文系を横断して広範囲にさまざまな分野を学ぶのが一般的だ。

日本でも、東京大学や国際基督教大学などが「リベラルアーツ」を採用している。

しかし、今君が悩んでいるように日本で一般的なのは理系と文系を分けた大学だ。

でも、ここには問題がある。

現代社会の問題は、さまざまな問題が絡み合っているため、それらを解決するためには、理系と文系、それら両方の知識が必要となってくるんだ。

にもかかわらず、いまだに『専門教育を受けている人が役に立つ』という前提のもとで、日本の大学制度はつくられているわけだね。

これは、ナンセンス。

まさに”無知”で”暗い”よね。

とても古い考え方だ。

君が悩むのもよくわかる。

そもそもの話、令和の時代ではこんな古臭い考え方は通用しない。

これからの時代は、一つの”問題”に対して、多方向から”照らす”ことのできる幅広い教養を持ったものが、社会で活躍できる時代なんだ。

え~!?じゃあどうすればいいの!?

明るくなるどころか、よりわかんなくなっちゃったよ!

照らして!

多方向から照らして!

おーけーおーけー焦るでない。

では、次になぜ理系と文系を分ける必要があったか?について、啓蒙していくとしよう。

これを知ることによって、君は、新しい時代に適応する準備が整うだろう。

何事も温故知新。

古い歴史を学びつつ、新しい時代に適応していくことだ。

 

なぜ理系と文系を分ける必要があったか?

その経緯は明治時代にまでさかのぼる。

明治初期、欧米の列強に呑みこまれないように”近代化”を迫られた日本。

”近代化”っていうのは、いろいろな定義があるけど、わかりやすくいうと、”理性”や”科学”によって、人々の暮らしが豊かになること。”より合理的な社会へ”、っていうのが近代化だね。

今君が持っているスマホなんかは、”近代化”の結晶っていってもいいだろう。

もちろん明治の人はスマホなんて持っていないけど、当時、下駄や畳、和の文化から、西洋の文化と知識を取り入れて、近代化に向けて、国全体で動いていった。

その動きは、現代においてスマホが生活を一変させたように激しい変化だったと思う。

そして、その目的は、西欧に飲み込まれないため!

自国の文化が失われないために、西欧の”理性と科学”を学んだんだね。

時代の先を見据えた、当時の政府上層部の決断は勇気あるものだったと思うんだ。

もちろんそれに対して、いろいろな見方はあるけどね。

あれ?ちょっとまって、”理性と科学によって”って・・・

これ・・・”啓蒙思想”じゃん!!

って気づいた君は、センスがいい。

そう。当時、日本が西欧から学んだのも、この啓蒙思想がベースの社会制度や法律なんだ。

当時の西欧(主にアメリカ)の勢いは、「啓蒙思想」からきている。

つまり、”理性”と”科学”によって、文明を開拓していったのが、アメリカのフロンティア精神だ。

古臭いヨーロッパの伝統至上主義は、うんざり・・・!

そんなガッチガチの固定観念にとらわれないで、自由に、人間というものを見つめなおしてみよう!っていう活きのイイ人たちが、アメリカの土台をつくった。

だから、当時もっとも勢いがあり、今でも世界的に影響力のある大国になったんだ。

そんな啓蒙主義アメリカこそ、日本の近代化のきっかけをつくった張本人(国?)

閉じた江戸の日本が、世界のアメリカに突然ノックされ、開国。

びっくり仰天、さあどうしようか!?

って、とりあえず、近代化!近代化!

理性!科学!啓蒙だ!

といって、つくったのが、帝国大学。

国を動かすエリート候補が勉強するところだ。

今でいう東大や京大などの一流大学といわれる大学だね。

そして、

 

理系と文系が分かれたのはまさにココだ!

 

当時、近代化のためには、めちゃくちゃお金がかかった。

近代化といえば、理性と科学。主に理系の分野が活躍する。

今でもそうだけど、理系の実験設備って大規模でお金がかかるよね。

一方、文系はだいたい本とノートくらいだから、たいしてお金がかからない。

だから、理系のエリートコースに進む人数を制限せざるをえなかった

そこで、数学の試験をし、文系と理系をふり分けることにしたんだ。

当然、入試問題が別々なので、その前の段階で文系・理系を選択しなければならない。

これが、今の大学が理系・文系に分かれている、もともとの理由なんだ。

そして、それは近代化が成功した現代でも、なぜか続いている・・・。

近代化のために、つくった制度だったけど、その名残が近代化が済んだ今でも続いている・・・

ていうだけの理由で、君たちは、大事な将来をその二択で悩むことになっている。

これは・・・

冷静に理性的に見て、おかしな話だと思わないか。

君もだんだん啓蒙する必要を、感じてきたんじゃないだろうか?

たしかに・・・おかしな話だ。

でも、じゃあどうすればいいんだろう??

過去に光は照らされたけど、僕らの将来に向けてどうすればいいかは、まだ暗いまんまだよ?

おーけーおーけー焦るでない。

過去が分かったら、次は現状を把握しよう。

現状を把握しないと、これからどうすべきか?というのもはっきりと見えてこないからね。

 

長きにわたり続いてきた理系VS文系論争、これにて最終決着!!

高校や大学が、プライドゆえにか現状を変えようとしない、おかしな学校”制度”の話をしたが、ここからは、”空気感”の話をしようと思う。

実は、僕らが違和感に気づいているのに、新しい時代に適応して、啓蒙できないのも、この”空気感”が、めちゃくちゃ影響している。

たとえば、理系文系でよく言われる”あるある”

  • 文系は「ウェーイ!!!」系が多い。ノリだけで生きてる。
  • 文系は遊んでばかり。
  • 理系はコミュ障。理屈っぽい。
  • 理系はクールなイメージ。オタク。

理系・文系といったそれぞれに振り分けられたイメージ=空気感によって、性格・コミュニケーション能力・就職や結婚の適性など、ともすれば、その人の人格まで、”文系・理系”という先入観の中で判断される。

そして、そのイメージ=空気感を使って互いに言い争う、明治時代から続く、この伝統的な論争は、過去に何人もの人が議論を重ねてきたが、それらをまとめていうと、

  • 理系は文系を非論理的で生産性のない格下だと思っており、
  • 文系は理系を理屈ばかりで社会性のないオタクだと思っている。

という空気感に集約される。

一言で言うなら「気が合わない」のだ。

なんという不毛な争い・・・

と思うだろうか?

理系or文系という枠組みで捉えるということは、日本では、少なからずこの不毛な空気感に巻き込まれることになる。

でも、この空気感とは関係なく、実社会で生きていくにあたっては、理系的に、物事を数値化、グラフ化、定量化、具体化、体系化して整理していく考え方(IQ)と、文系的に、割り切れない感情や、情緒、奥行き、物語を感じる力(EQ)どちらも必要であって、どちらか一方が、一方を邪魔するものでもない。

両方あって、人間だ。

でも、日本の現状は、SNSなどで不毛なやり取りをする大学生と、プライドが邪魔して時代の流れに適応できない学校制度、そのおかしさを君たちに教えない大人たちによって構成されている。

自分の大切な将来を、自分以外のよくわからない”空気感”や古臭い”制度”によって、左右されるのなんて、

ぜっったいイヤ!!

そう思った人は、現状を把握することができたといっていいだろう。

さあ、次は本題の、これからどうすればいいか?

君の進路相談だ。

 

理系と文系を統合するカギは「からだ」にある!

ここまで読んできた君は、文系と理系を分けること自体そもそも、100年前の大学制度にあった時代遅れなスタイルで、今の時代は、文系理系を横断的に、多角的に学ぶことが、当たり前の時代になっていること。

にもかかわらず、ガラパゴス化した日本の大学と、先入観で互いに批判し合う予定調和な理系vs文系論争という不毛な空気感が日本の教育環境の実情であること。

を、知識によって啓蒙したと思う。

では、これからの時代に必要な、物事を、理性(IQ)と情緒(EQ)の両方で捉え、問題に対して、多角的な視点をもって取り組める人材になるためには、どうすればいいだろうか??

答えは「カラダ」にある。

カラダ・・・!??

いきなりどうした??

健康が大事ってこと・・・?

そんなことはわかってるよ!

いやいや、そうじゃない。

何が言いたいかっていうと、「カラダ」こそ、理系と文系を統合するカギってこと。

いや、より正確に言うなら、カラダ以外に、理系と文系を統合するものはない。

君のそのカラダは、理系的な”法則”に従って動いていて、かつ、文系的な”情緒”に従ってもいる。

日常の中で感じるさまざまな感情によって、カラダの状態が変化するし、かといって、内臓や血液が、

「左足は嫌いだから血液あーげない!」

とか言って感情で判断していたら大変なことになるw

そこには、明確な体のルール(秩序)がある。

つまり、人体は理系文系を統合したルールで動く唯一の存在なんだ。

理系的に情報を処理する力であれば、それこそロボットやAIのほうが得意だろう。

でも、現実は0と1の情報処理だけで動いてはいないよね。

GoogleやAmazon、Facebook、Appleなど、現代社会を席巻するシリコンバレーのIT企業。

理性的な情報処理を扱う最先端のエリートたちが、今、”マインドフルネス”や”座禅”にハマっている。

テクノロジー(道具)の将来を誰よりも知っているはずの彼らが、理性の限界に気づいたとき、目を向けるのは「カラダ」ということだ。

そして、お気づきだろうか?

彼ら(西欧)が学び直そうとしている、この「カラダ」の文化こそ100年前に僕らが失ったもの

日本が、西欧列強に押され、その流れに適応しようとし、ついに守り切れなかったもの。

それが、

和の身体文化。

下腹重心・蹲踞だ。

皮肉なことで、理性至上主義によって西欧・近代化した日本を啓蒙するカギは、日本の歴史の中にあったんだ。

和の身体文化とは、身心一如。

姿勢の乱れと心の乱れは一体である、という文化だ。

わかりやすくいえば、情緒は言葉にあるのではない。

”姿勢”にある!

というのが、生活のすみずみまで行き渡っていたのが、江戸・明治期の日本の文化。

まさに理系と文系の統合だ。

 

世界を学ぶ前に、そのカラダをありのままに見よう!

 

最近、書店に平積みにされている、「FACTFULLNESS」という書籍がある。

そこに書かれている事実はとても興味深い。

なんでも、僕らは世界の現状をありのままに見れていないらしい。

そして、それは僕ら庶民だけでなく、なんと国連や世界を動かす政府関係者も、だ!

/(^o^)\ナンテコッタイ

世界を動かす要人たちですら、世界をありのままに見れていない!

おいおい彼らは死ぬほど勉強したんじゃあないのか?って言いたくなるよね。

これで分かっただろうか。

今、君が悩んでいる進路の先端に行った人の末路と、”彼ら”がつくった社会の現状を。

そして、もちろんそれは”僕ら”だ。

”彼ら”も”僕ら”も、そんな分け方には意味がない。

こんな時代に、外部環境のシステムや制度に頼りすぎるのも、自分だけの感情や気分に頼りすぎるのも、どちらもこころもとない。

なぜなら、それを認識する僕らのモノの見方そのものが、そもそもズレているからだ。

それを昔の日本人なら、

 

「姿勢を正せ!足腰がなっとらん!!」

 

と一喝した。

「姿勢」がズレているから、「心(認知)」もズレる。ということを、彼らは体感で知っていたんだね。

 

理系的に言うと人生は実験。文系的に言うと人生は冒険。

改めて、この時代を生き抜くカギは、

誰でも持っているその「カラダ」にある。

そして、その「カラダ」の法則をいちばん理解していたのは、日本人だった。

この事実に気づけば、”理系”と”文系”という枠組みに迷わされることなく、外部環境の偏った仕組みや、内部環境の偏った感情に依存することなく、

 

自分の体の”FACTFULLNESS”

=「データ(姿勢)を基に世界を正しく見る習慣」

 

を基準に、自分の人生を自分で啓蒙していける!

これからの時代は頭(理性)だけで学ぶのは、頭打ち!

認知のズレは、カラダ(姿勢)でしか気づけない。

そのカラダで、理系と文系を統合して、人生を実験(冒険)しよう。

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